小生への激勵 5

  • 北陸本線金澤驛


の構内營業「油谷」殿から、お便りを頂戴した。本業の方からお便りを頂くのは、仙臺驛「伯養軒」殿、越後湯澤驛「雪中庵」殿 に續き三度目である。大變に光榮であるが、當方の事情に據つてご紹介が遲れて仕舞つた。
株式會社「油谷」の經營する蕎麦は、正式には「加賀白山そば」ださうである。金澤驛には、舊JR西日本フーズの 「加賀うどん」 も看板を出してゐたが、これは最近撤退したさうである。寂しいニウスではある。小生は 「麺類列島」で、日本列島に於ける 「そば・うどん文化」 の分界について、驛蕎麦店の暖簾名から分類を行ふ事を試みた。當時の金澤驛にはは「白山そば」と「加賀うどん」が竝立して居り、「蕎麦文化」なのか「饂飩文化」なのか判然としないと結論したのであるが、これで金澤は完全な「蕎麦文化圈」に編入される事になるだらう。
しかし油谷殿曰く、金澤の麺文化は饂飩圈に屬するさうである。かう云ふと負け惜しみのやうに聞こえるが、小生も實は金澤には淺からぬ縁があるのでそれは知つてゐた。昔市中のうどん屋で夏に冷やし饂飩を喰つたが、あんなに美味い饂飩はそれ以來口にした事が無い。恐らく「白山そば」などと云つても、うどんの方が賣上があるだらうと邪推してゐた。
處が續けて讀んで行くと、「加賀白山そば」の店舗では、そば7割、うどん3割になると云ふ興味深い事實が記されてゐたのである。油谷殿も、この邊りが不思議な點であるとご指摘であるが、それは「白山そば」の味が良いからなのではないかとも思ふ。

これまでも「白山そば」にはお世話になつてゐたが、今度金澤に寄る際には臍を曲げて「白山うどん」を注文しやうかとも思ふ。ご紹介が遲れて相濟みませんでしたが、お便り有難う御座いました。
またこの他にもお便りを頂戴してゐましたたが、事情があつて失はれてしまひました。この場を借りてお詫び申し上げます。


  • 山陽本線絲崎驛


にはその昔機關區があつて、呉線や山陽線を走る蒸氣機關車が集結してゐた。昭和40年前後のSLブームでこの驛を訪れた方もおいでかと思ふ。この驛の蕎麦屋が 丸で隱れて營業してゐるやうで驚いたと云ふ方から お便りを頂戴した。
店舗の立地が 舟の舳先のようなホームの外れで、屋根も掛かつてゐない。しかも入口が操車場を向いてゐて待合ひ客から見えず、一見して休業中の如くださうである。荒野に立ち向かふ一匹狼の風情ではないか。
小生もここを訪れた事がある。昔は機關士達を相手にしてゐたのだらうか。見方によつては往年の繁榮を彷彿とさせる佇まひである。この店は尾道と同じ「櫻屋」の分店で、昭和30年の開業である。品書きに名物の 尾道ラーメンがあるか知らないが、列車は蕎麦屋の前に停車するので場所は直ぐに判るだらう。
この方には京都驛の蕎麦屋が改装された事もお知らせ頂いた。お便り有難う御座いました。


  • 大都市圈の驛蕎麦には


具材や藥味を無料にして集客を圖る店もあるが、新松戸驛で ゆで玉子の無料サーヰ"スを利用した方からお便りを頂戴した。
この方は元々かけ蕎麦を頼むつもりであつたが、期せずしてゆで玉子が付いてきたので、小さな幸せを感じながら喰つてゐたさうである。其處へ後から來た男が天玉蕎麦を注文し、丼鉢に無料で付いて來たゆで玉子を入れて豪快に喰ひ始めた。
この方は、その勢い良く喰ふ姿に漢らしさを感じたさうである。確かに行間からは、男の侠氣に似たものを感じる事も出來る。問題は追加した玉子が茹でてある事である。小生には喉に引掛つて喰ひ難いやうにも思はれるが、そんな事に拘泥せず飮み込んで仕舞ふのが大衆食堂での作法なのだらうか。お便り有難う御座いました。


  • 以前札幌在住


の方からお便りを頂戴した事があるが、この方は本場北海道の中華蕎麦などに關する「祕境探檢」と云ふホームペーヂを運營されて居り、この度當ペーヂへリンクを貼つて頂いた旨をお報らせ頂いた。拜見すると、隨分と食べ歩いておいでのやうである。北海道方面に食をお求めの方は訪問されたらよろしからう。お便り有難う御座いました。


  • 食券販賣機の導入とその影響に關するご意見


を土浦の常連さんから頂戴した。と云ふのは、「華月庵」に食券販賣機が入つた爲である。
この方の立場は消極論である。今迄は注文と代金のやりとりの中に 世間話などを織り込んで樂しく喰つてゐたのに、無粹な機械が入つた所爲で味氣なくなつた。店のおばちやんも殘念がつてゐるさうである。
敢へ而この方に反論する譯では無いが、小生は食券販賣機の導入は結局の處、利用者・企業に恩惠を與ふる事になると考へた。
ひとつは、おばちやんが 手垢にまみれた金錢を觸つた手で 調理しなくて良くなるので、衞生的に安心して喰ふ事が出來るやうになる。小生は、その手垢も味の内と思はないでもないが、大多數の利用者は歡迎するだらう。
また鐵道會社から見れば、業者の賣上管理に威力を發揮する。つまり驛構内營業のテナント料は、その店の賣上に比例する性質も有している爲 昔は業者が態と賣上を低く見積もる事があつたやうである。驛の食券販賣機は、寧ろ 鐵道關連事業の收益をガラス張りにする意味で、積極的な導入が圖られてゐると考へられる。
然乍、默って食券を出すと默って注文に應じ、こちらがご馳走樣も云はずに出て行くと機械が「有難う御座いました」と喋るような店は、小生は非常に嬉しくない。やはりおばちやんと客の間には一種の氣合ひと云つたものが介在しなければ、好ましい驛蕎麦は成立しないやうに思はれる。小生の好きな或る驛の券賣機は「そば・うどん共通」の券を賣つてゐる。最終的にはおばちやんに口頭で注文しなければならないのである。それを知らない若造が、默つて食券だけ置いてゐると、おばちやんが怒つたやうな聲で、「そば?うどん?」などと聞いてゐる。小生は初めからフルネームで注文しながら食券を置くやうに心掛けてゐるから、怒られた事は無い。あまりにも底の深いご意見故、ご紹介が遲れました。お便り有難う御座いました。


  • 獨身貴族の男性


から常磐線の我孫子驛で目撃した光景についてお便りを戴いた。同驛彌生軒の名物は大きな鷄唐揚を二つ載いた「唐揚そば」である。小生も賞味したが、それは重量感のある一杯であつた。
先日この方が彌生軒を利用した折、下校途中の二人組の高校生が後から入店して來て唐揚のみを單品で注文したさうである。そしておばちやんと何やら相談した直後に、つゆと葱と唐揚だけ入つた丼鉢を出て來たので驚いたとの事である。
それにしても立ち喰ひで唐揚の「拔き」を頼むとは生意氣な高校生である。彌生軒の食券販賣機には唐揚單品の釦もあつたやうである。具の單品注文は丼鉢を豐かにするだけではなく、「拔き」を注文する爲の粹な計らひなのだらうか。
確かに彌生軒の濃いつゆと唐揚は良く合つて美味いだらう。だから通人ぶつて「拔き」を注文し、周圍を驚かすのも一興かも知れない。お便り有難う御座いました。


  • 常磐線土浦の


驛蕎麦に關して以前もお便りを下さつた方より、最近の状況に就いてお報せ戴いた。小生は、別の方から「某空港の蕎麦を喰つたらつゆが足りずに不味かつた」と云ふ便りを頂戴し、それに對して、驛蕎麦の賞味とはさういふものではないとの感想をこの欄に述べた事がある。しかし他日小生が土浦で賞味した蕎麦は、つゆの足りない蕎麦だつたので迷はず「丙」を付けた。だから土浦驛の蕎麦屋の事は他の「乙」の蕎麦よりも良く覺ゑてゐる。
その説田商店の蕎麦屋の看板が、「華月庵」に變はつたと云ふ事である。何故屋號が出來たのか事情は判らないが、趣深い名前では無いかと思ふ。月の綺麗な秋の夜に、ふらりと立寄つてみたいと思つた。お便り有難う御座いました。


  • 品川驛のあじさゐ


が便所の隣にあると云ふ報告を戴いた。この方は、あじさゐよりも常盤軒の方がお好みらしいが、夏の間は冷房裝置の效きが良いあじさゐを利用することが多いさうである。
便所の横と云へば、小生も一軒知つてゐる店がある。その驛を見付けた際は夏の盛りであり、空腹でも無かつたので素通りした。機會があれば喰つてみたいと思つてゐる。しかしどうせ便所の隣と知つてゐて喰ふならば、五感の研ぎ澄まされるやうな寒い時期の方が良いと小生は思ふ。お便り有難う御座いました。


  • 大船軒の肉味噌饂飩


を賞味された常連の方からお便りを戴いてゐたが、ご紹介が遲れた。これは細めの饂飩に肉餡を掛けたもので、つゆは無いさうである。熱い麺と葱たつぷりの餡を混ぜて喰ふと美味との由である。それは美味いだらうと想像する。
小生も數年前に小淵澤驛で「肉味噌蕎麦」を喰つたが、この方の仰るやうな態の一杯であつた。パツク入の肉餡を温めたものを開封して丼鉢に空けてゐたやうに思ふ。この際調理方法は良いとして、蕎麦よりは饂飩の方が似合ひだつたらうと、お便りを戴いてから氣がついた。
昨今ではJR四國の「めりけんや」がJR東日本のNREと組んで、首都圈に驛饂飩屋を出店し始めたと云ふ。麺食にバラエチーが増すのは嬉しいが、關東らしい蕎麦も大切にして貰いたいと思ふ。お便り有難う御座いました。


  • 空いた時間で


品川驛の冷やし蕎麦を喰つたら大變不味かつたと云ふ方からお便りを頂戴した。續けて拜讀すると、二つの案から成る當サイトの改善提案である。一點目は、「不味い驛蕎麦も積極的に紹介せよ」であり、二點目は、「幾つかの蕎麦屋は改裝したのだから、當サイトの寫眞も實際に合はせて更新せよ」との事である。
最初のご提案からお答しやう。小生は美味い蕎麦だけを選んで喰つて來た譯ではない。不味かつた蕎麦は正直にさう書いてあるのでご一讀願ひたい。しかし美味くないものを不味いと云へば矢張りネガチヴである。遠出して喰ふなら出來るだけ樂しく味はひたいと考えてゐる。
二點目については確かにその通りで、小生がこのサイトで賞味した後に消滅した店もあるし、改裝した店もある。しかし趣味で喰ふ小生としては、蕎麦屋との一期一會を大切にしたい。つまり小生が訪れた、その瞬間が當サイトにとつて永遠の記録なのである。あと十年もすれば、このサイトの寫眞は全て過去の風景となるかもしれない。それも良しである。
しかし最近の暑さは我慢の限界であり、こんな時期につゆ蕎麦を喰へば不味いに決まつてゐるとも思ふ。好んで驛蕎麦の賞味を樂しむ讀者諸賢には、然るべき季節に美味しく召し上がつて戴きたい。お便り有難う御座いました。


  • 月見蕎麦や


天玉蕎麦を喰つてゐると、つゆに玉子が溶けて味の印象が曖昧になる。處が常磐線の牛久驛の蕎麦では玉子入りの蕎麦を注文すると、つゆを普通よりも濃い目にアレンヂするので美味いと云ふ情報を頂戴した。
牛久驛上りホームの蕎麦屋は何度か通つた事があるが、いずれも滿腹だつたので賞味した事が無い。それにしても、玉子には醤油味が良く合ふ。出汁の效いた濃い蕎麦つゆなら一層美味いだらう。しかし高コレステロール症と高血壓症の小生にとつて、牛久で天玉蕎麦を注文するのは考え物ではないかと逡巡もする。まあ一食ぐらいなら醫者も文句は云はぬだらう。
この方は、試しに玉子拔きでつゆを濃くするよう注文したさうである。美味かつたかどうかは諸君の想像に任せるが、小生はかう云ふ意欲的な賞味に大いに贊同します。お便り有難う御座いました。