弘 濟 會 蕎 麦




 弘濟會蕎麦とは、「キヨスクの蕎麦」の事である。キヨスク賣店はJR沿線の随所で見られるが、キヨスクの蕎麦と云ふのは、余り馴染みが無いだらう。此の節に於ゐても賣店を中心に調査を進め不るを得ない。その中からキヨスク蕎麦の特徴と背景を探る事としたい。


「鐵道弘濟會」


【沿 革】

 鐵道弘濟會は、従來「ふたばマーク」でシムボライズされた驛賣店を運營してゐた。しかし、昭和四十七年に至り、お馴染みの「キヨスク」の愛称を各賣店に附す事となつた。キヨスクとはトルコ語の「あずまや」の意である。

 鐵道弘濟會は國鐵の關係組織として昭和七年に東京で設立された。その活動目的は、@ 國鐵公傷者救濟(互助事業) A 旅客への便益供与(収益事業)であり、大戦後 B 社會福祉事業が追加されてゐる。此の社會福祉事業は、鐵道弘濟病院の運營等で廣く知られる處であらう。義手義足の研究に於ゐても非常に優れた成果を挙げてゐる。
収益事業に就いては、昭和五年の公傷者職業組合賣店の成功が大いに參考となつたと思はれる。然して事業は順調に成長し、その後の組織拡大は、同會を國鐵退職者の受入先として性格付け、また國鐵附帯事業の中核組織に押上げる事となつた。

 但し、同會の進出は従來業者を圧迫する一面があつた事も見逃せない。鐵道公傷者への授産と云ふ建前の下、強引な権利移譲が度々行はれたのである。例へば、某鐵道管理局が、自域内の構内業者の營業権を強制的に弘濟會へ移した事例等である。
従來の構内業者から見れば、折角育てた己が賣店の營業権を奪はれ、利益の上前を刎ねられるやうなものである。是非は別としても、構内營業にあつて弘濟會キヨスクは多分に異質な業者なのである。

 昭和六十二年に國鐵が分割された後、鐵道弘濟會の収益事業部門も會から獨立して六つの株式會社となつた。即ち、北海道・東日本・東海・西日本・四國・九州の各キヨスク會社の誕生である。その後 各社共 平成元年に旅客鐵道が株式の過半数を取得し、現在では旅客鉄道傘下で關連事業の中核を担う企業となつてゐる。

今回は、全國キヨスク會社の長兄的存在にして、最も多く驛蕎麦を扱ふ「東日本キヨスク」について更に調査を進めたい。


東日本キヨスク

 東日本キヨスクは賣店、花屋、靴磨、土産品、本屋、そして蕎麦屋と多方面に亘る運營を行つてゐる。そして多種多様な商賣を區分する爲、店舗形態によつて愛称を与へ、シムボルとなる意匠を附してゐる。JR東日本の大きな驛を歩けば諸君も探す事が出來やう。面白いから次にその一例を示す。

TASTY KIOSK 専門飲食賣店 蕎麦・饂飩・サンドヰツチ
LETS' KIOSK 一般雑貨賣店 雑誌・煙草など
YOUR KIOSK 専業賣店 靴磨・花屋・本屋・辨當など
GIFT KIOSK 土産賣店 名産菓子・土産
MART KIOSK 物産賣店 地方特産品

 注意して観察してゐると、上記の分別はいまひとつ明確でない處がある。他にも幾つかの愛称があるが、此處では省略する。


【蕎 麦】

 此處で漸く主題である蕎麦に視点を移す事にしやう。東日本キヨスクでは、驛蕎麦は「TASTY KIOSK」の範疇に入り、左圖のやうなシムボルマークが附されてゐる。麺の太さから類推すれば饂飩に見へる。何故か一等端の一本が切れてゐるのが愛敬なのか写實主義なのか、議論を呼ぶ處である。

ご承知のやうに、小生は此れ迄幾つかキヨスク蕎麦を賞味して居り、比較的高い評價を与へてゐる。然し、各々を喰つた印象を並べてみても、共通した特徴が無い。つまり個性的な店舗が多い事がキヨスク蕎麦の特徴と云ひ得る。

 近く調査する予定の「伯養軒」のやうな廣域驛蕎麦業者は、味や品書きが殆ど均一である。對するキヨスク蕎麦も廣域な店舗展開であるが、「伯養軒」のやうな統一性が見出せないのである。店舗展開も分散立地型であり、隣接した驛との連携が余り見られない。多重の性格であるので小生としては油斷が出來ない。

 そこで小生はかうした不統一性の背景を考へるに至つた。然して、前々項で概観した出店方法に思ひ當たる處を得たのである。
つまり、各地に点在する蕎麦屋も元々は個人業者が營業していたもので、キヨスクが營業権を譲り受けたのであらう。そしてその後も味覚を継承してゐるからでは無いか、と云ふ推測である。
此れはそれ程的外れでないと確信してゐる。仮に間違つてゐたとしても、味のバラエチーが樂しめるのは事實である。諸君も手当たり次第のキヨスク蕎麦を、氣安く賞味して欲しい。




文中の敬称は略させて頂きました。
新事實を御存知の方は小生まで一報願ひます。