直 營 蕎 麦




 國有鐵道が供食事業の分野で直營を開始したのは、昭和60年の上野驛に於けるコーヒースタンド「ベル」であつた。爾來數多の飮食店が國鐵直營の名で産声を上げた譯であるが、蕎麦店もその例外では無い。本節では鐵道會社が附帶事業として直接經營する驛蕎麦を指して直營蕎麦と呼ばうと思ふ。

【國鐵と關連事業】

 本質的に鐵道と云ふ事業は、運輸以外の開發事業によつて自己沿線の附加價値を高め、需要を再創出する宿命を有してゐる。つまり鐵道事業と關連事業は不可分な性質を有してゐると云へるのである。
処が國有鐵道は多分に支配的な資本であつた爲、本業以外の事業 〜 附帶事業や出資事業 〜 は沿線の中小企業を保護する觀點から「日本國有鐵道法」によつて法的規制が加へられてゐた。

 乍然昭和末期に至り、國鐵は本業たる鐵道の獨立採算が立行かなく成り、亦餘剩人員の問題もあつたので、先ず本業を補完する分野での兼業が認められたのである。
愈愈 國鐵が其の巨大な營業力を始動せるに當たつて、驛近邊の同業者はこの決定に強力に反發した。特に東京驛の直營書籍店設置問題は諸君の記憶にも新しい處であらう。


【直營蕎麦の實體】

 兎も角上記のやうな事情で、昭和末期から平成初期に懸けて直營蕎麦が續々と誕生した。その經營は鐵道管理局の支配下にあつたので、同じ鐵道會社の直營でも異なる看板を出す蕎麦屋も見られた。此処で小生が確認した直營蕎麦店を列記しやう。


    東日本旅客鐵道

    旧東京西鐵道管理局

 「かいじ」と云ふ蕎麦屋が中野、三鷹などに展開してゐた。關東には珍しく薄い蒲鉾が載つた蕎麦が印象的であつたが、平成10年に日本食堂「あじさい」に引き繼がれた。

    旧東京北鐵道管理局

 其の名も「喜多」なる蕎麦屋が日暮里、秋葉原などに展開してゐた。現在は、日暮里が日本食堂に、秋葉原の第三種驛蕎麦が東日本レストランになつてゐる。

    旧東京南鐵道管理局

 冷凍麺を使用するので有名だつた「小竹林」が、管内に廣く展開してゐたが、平成10年に日本食堂などに移管された。今日も「小竹林」を名乗る店が川崎や立川に展開してゐるが、之は地域支社の企畫開發會社が暖簾を繼承したものである。


    東海旅客鐵道

 「汽笛亭」と云ふ直營店が名古屋近郊などに展開してゐる。但しこれはきしめん專門店であるので厳密な意味で驛蕎麦とは云へないだらう。


    西日本旅客鐵道

 西日本旅客鐵道管内の鐵道蕎麦プレートを見ると、屋號とは別に同鐵道の全額出資子會社「JR西日本フーズ」の名を見る事が出來る。過去に直營蕎麦があつたか、残念乍ら小生は知らない。
この會社は昭和63年に設立された「ハート アンド アクシヨン フーズ」が、平成4年に現名称に改称されたものである。驛蕎麦を含めた構内食堂全般を統括して居り、飲食店の直營と共に営業許可もこの會社が行ふやうである。



    四國旅客鐵道

 小生が松山で喰つたのが「かけはし」と云ふ元直營饂飩屋である。近年はステーシヨンクリエートと云ふ子會社が県に分かれて經營してゐる。店頭では同鐵道の饂飩子會社「めりけんや」の土産も賣られてゐた。
然し饂飩王國と思はれた四國でも、焼き立てパンを賣る子會社「ヰンキーリンキー」の方が目立つやうな氣がする。


    九州旅客鐵道

 「マイタウンうどん」と云ふ蕎麦屋が小倉、博多などに展開してゐた。平成4年に同鐵道の外食部門として獨立した「ジヱイアール九州フードサービス」に移管されてゐる。




【直營蕎麦の味覺的意義】

 國鐵末期當時、昨日まで運轉士だつた國鐵職員が蕎麦屋に轉進したと云ふ二ユースは、少々滑稽なニユアンスと哀々たる感を以つて世に伝へられた。
 然し鐵道員達の創り上げた味の評判は、彼等が決して後向きで無かつた事を雄辨に物語つてゐる。亦鐵道員の蕎麦屋が國有鐵道民營化の精神的先驅けとなつた事も見逃す事が出來ない。
 近年直營蕎麦は減少して供食專門關連會社の手へ移りつつある。小竹林の冷凍麺も、多くが「あじさい」の平均的な味はひになつた。かうした状況は少々殘念な氣がしないでもない。



文中の敬称は略させて頂きました。
新事實を御存知の方は小生まで一報願ひます。