再 編 蕎 麦




 昨今は金融、通信など各業界で企業再編の動きが傳へられ、あの名門がかうなるのかと毎日愕きを禁じ得ない。飜つて我が驛蕎麦業界に於ゐては、東日本で日本レストランエンタプライズに據る資本支配の傾向があるものの、個人企業中心の閉鎖された業界である爲ニユースとして傳はり難い側面がある。
 本節では過去に於ける驛蕎麦再編の事例を概觀する事で、我々愛好家の驛蕎麦賞味に一層の厚みを加へると共にそれら再編蕎麦の圓滑な經營に對する努力を偲ぶ事と致し度い。



【壱】 自 發 的 再 編 蕎 麦

 企業再編とは生産調整や價格調整を目的に行ふ 市場に於ける企業單位のリストラクチヤーである。餘り派手にやるとトラスト構造を生じ、財の最適配分が成立し難い市場を招來する。
しかし乍ら驛構内營業に於ゐては元々規制された地域的市場であり、複數の企業が競合しても生産コストが嵩む危險性が考へられる。
如上の論理に基づいて、ひとつの驛に展開する複數の個人營業體を統合し、本質的な意味で再編を斷行した業者がある。

高崎線 高崎驛 「高崎辨當」

 「たかべん」の愛称と「だるま辨當」でお馴染みである。當該業者は昭和33年に高崎驛構内三業者が自主合併して出來たものである。
その三業者とは明治19年創業の松本商店、明治20年創業の天來庵矢嶋、明治39年創業の末村商店である。古参の多い驛蕎麦業界の中にあつても、明治初期から存續する息の長い業者と云へやう。

 當時の三者の經營状態は惡くも無く、更なる増益を企圖した再編だつたさうだが、何かと強権を發動し易い鐵道弘濟會への對抗措置とも考へられる。何れにせよ合併後の同社は「だるま辨當」で大當たりをとり、狙ひ通りの成果を手にしたのである。

 蕎麦の取り扱ひは、三業者のうち最も古參の松本商店の経營であつた。松本儀八による創業の當初から蕎麦店をホームに出してゐたさうだが、昭和20年代後半に至つて後發の弘済會へ、驛蕎麦の營業権と店舗を譲渡する事となつた。小生の邪推ではあるが、この一事が「たかべん」誕生の契機になつたのでは無いだらうか。

 しかし今日の高崎驛在來線ホームには、「たかべん」の蕎麦屋と松本商店を引繼いだキヨスクの蕎麦がある。用事も無く高崎驛に出掛け、兩者の味を比較するのもまた一興である。「たかべん」蕎麦は、宗田節から採つた無添加つゆを宣伝してゐる。小生は新前橋驛で「たかべん」蕎麦を賞味したが、つゆがポリタンクに入つて運搬されるのを目撃したので、殘念乍らそんな有難いつゆだとは氣付かなかつた。


【弐】 強 制 的 再 編 蕎 麦

 上記の再編とは異なる事情で再編を果たした構内業者もある。最も顕著な例は、大東亞戰爭當時に於ゐて、鐵道當局より企業再整備を指示された事により成立した業者群であり、どれも昭和16年から18年に掛けての營業開始である。大概「何某驛辨當」とか「何某構内營業」など、固い名称が多い。このやうな蕎麦を「強制的再編蕎麦」と呼びたい。實例を次に示す。

山陽線 徳山驛「徳山驛辨當」

 昭和16年に松政旅館などが再編されたもの。明治30年に山本宗次郎が創業して以来百年を越す歴史を有する。小生は徳山驛で賞味。

山陽線 下関驛「下關驛辨當」

 昭和17年に浜吉辨當と菊池商店(たから屋)が再編されたもの。小生は長府驛にて賞味。下關驛では、「ふく天蕎麦」が名物として第三種本丸型賣店で供されてゐるが、すぐに賣切れる爲未だ喰つてゐない。

山陽線 廣嶋驛「廣嶋驛辨當」

 昭和18年に中嶋改良軒が中心となつて羽田別荘、吉本屋などを再編したもの。中嶋改良軒は明治34年に中嶋卯吉が創業した。小生は廣嶋驛で賞味。

鹿児島線 鳥栖驛 「中央軒」

 軒號を有し見過ごし勝ちであるが、戰時中は「九州中央鐵道構内営業」と云ふ名であつた。鳥栖村長であつた橋本頼造が明治25年鳥栖で創始した個人營業を母體に、鳥栖、久留米、大牟田、日田各驛の5營業人を昭和17年に再編したものである。そして「中央軒」改称となつたのは昭和28年である。

 上記5營業人のうち、久留米の業者は大正14年に鐵道勤務から轉職した牟田正治の系統に據るものである。再編後は「中央軒」傘下の營業所扱ひであつたが、現在は「久留米中央軒」の看板を出してゐる。鳥栖、久留米夫々の蕎麦は價格・味ともに異なる。同じ中央軒の看板は出してゐるものの、兩者は違ふ方向性を模索してゐるのだらう。そして兩者とも驛蕎麦として高水準の味はひでは無いかと思ふ。

左)鳥栖「中央軒」  右)「久留米中央軒」



 上記以外にも強制再編蕎麦の例は枚挙の暇が無いが、概して北海道、廣嶋、九州に多いやうである。これは統制策の実施が、その地の鐵道管理局に委ねられてゐたからである。従つて戰前からある業者でも、個人營業の形で殘る老舗もある。




文中の敬称は略させて頂きました。
新事實を御存知の方は小生まで一報願ひます。