本題の「あじさゐ」は、數年後に右の秩序に大きな影響を与へる事となつたが、日本食堂は當時「山の手そば」と云ふ暖簾を、澁谷・上野・中野・荻窪などに展開してゐた。これは昭和62年に澁谷驛外囘りホームで創始されたものである。しかしこの「山の手そば」は平成10年には消滅して仕舞つた。 それでは、同じ日本食堂が經營した「山の手そば」と「あじさゐ」では何が違ふのだらうか。