割 箸 の 愉 悦




 蕎麦は箸で喰ふものである。其れは當然であるが、塗り箸よりも割箸で喰ふ方が美味いやうな氣がする。そのざらざらした質感が、麺と良く合ふのである。日本や朝鮮、中國、越南など極東亜細亜の國々は箸文化圏を形成してゐる。そして他の様々な文化と同様、箸もまた七世紀頃に中國から輸入されたのである。

 使ひ捨て箸である竹製「引裂き箸」が登場したのは江戸初期であると云ふ。更に現在の木製割箸は、明治初期に奈良縣吉野群下市の寺子屋教諭、嶋本忠雄によつて発明されたさうだ。一度使つて捨ててしまふ割箸も良く見れば樂しい。此処で喰ふ手を一寸休めて、自分の手元をじつくり眺めてみる事にする。さういふ一休みでさへ驛蕎麦を深める一端となるだらう。

 丁六型【てうろく】 


 日本で最初の木製割箸がこの型である。明治十年代に吉野下市で考案された。それまでは繰返し使用する杉製の「丸箸」か、「引裂箸」と云ふ竹製のものが一般的だつたらしい。
 丁六の名は恐らくその長さが六寸であつた事から來たものだらう。そして親しみ易さと「六」を掛けて、江戸時代の庶民の硬貨「丁六銀」に因んで名附けられたのでは無いか。
板木に割り目が入るだけのシムプルで簡易な割箸との印象が強い。大衆普及品として、驛蕎麦や辨當に良く使はれる。


 小判型【こばん】 


 丁六から約十年後、明治二十年代の考案である。周囲の角を丸めるやうな面取り処理が施された。上から見ると角が外れて小判のやうに見えるので小判型と云ふ。
 丁六がやや粗い印象であるのに對して、面取りを施しただけで格が上がる。日本が豊かになつた今日では驛蕎麦でも普通に見られる。


 元祿型【げんろく】 


 縦に一直線の溝が美しい。割箸は如何に角を丸くするかと云ふ点に心を砕いて發展したのだらう。箸の周圍と割り目部に面取り處理が施されてゐる。
 「元祿」の名は元祿小判に由來する。金の含有量を減らして改惡された同硬貨と、溝の分だけ削りとつた割箸を重ねたものとの事である。尤も割箸の方は改惡では無く、中級品であつて、丁六や小判よりも格が高い。
明治三十年代の考案であるから、驛蕎麦とほぼ同じ歴史を持つ。驛蕎麦に於ゐても度々見受けられる。


 利休型【りきう】 (ANA型)


 千宗易が、茶道に於いて箸の美形を追求して完成したのが利休箸である。赤杉が本式だが白杉でも良い。
 これを割箸にしたのが明治末期考案の利休型割箸である。先細中太のすらりとした箸であり、高級品である。桧や吉野杉、竹などが使はれる。
全日空の機内食では白楊材と思はれる素材の利休割箸が使用されるが、殘念乍ら驛蕎麦で出会つた事は無い。


 天削型【てんそげ】 (JAL型)


 上部を斜めに削つた肉厚の割箸を天削と云ふ。比較的新しく、大正五年の考案との事である。桧材や吉野杉材で作られる高級品である。
 之ならば普及品の上部を斜めに削れば出來さうな氣もするが、先端部を細く加工した上面取処理を施すなど、手がかかつてゐる。日本航空の機内食では短目の杉製と思はれる天削割箸が使用される。
高級割箸の長さは七寸〜八寸が普通である。すらりとした氣品ある箸が使ひ捨てとはなんとも勿体無い。矢張り驛蕎麦で見た事は無い。単価は9圓程度か。



 竹や杉、桧などが割箸の高級素材である。それは木目の細かさや香りの高さが好ましい爲であらう。一方普及品では松、白樺など弾力性に富む木材が利用されるやうである。近年はカナダ産の白楊が普及品に多く使用されてゐる。やや粉つぽいが、眩しいやうな白さが清々しい。驛蕎麦で見られるのは普及品であるが、割箸は蕎麦を引き立てる重要な脇役であると小生は思ふ。