麺 類 列 島




 諸君は日本列島を分斷するならば何處にその線を引くだらうか。前囘は、藥味の青白で列島を兩斷する試みを行つた。その結果は、葱の生育環境をも反映した興味深いものであつた事と思ふ。

 しかし我々は驛蕎麦研究家である。日本列島を二分するなら「蕎麦文化圈」か「饂飩文化圈」にしたいと思ふのは人情であらう。この試みは偉大な先人達によつて幾度となく行はれて來た。しかし「蕎麦文化圈」「饂飩文化圈」夫々の認識方法に統一規則が無い爲、この學説は混亂の樣相を呈して收拾してゐない。
 最も陷りやすい誤ちは、つゆの濃淡を以つて「そばうどん」夫々の領域と同一認識する事である。良く「薄いつゆはうどん向きである」などと判かつたやうな私説を論ずる輩を見掛けるが、これは感心しない。つまり我々は、薄いつゆでも蕎麦文化圈に編入される地域もあれば、その逆がある事を知つてゐるからである。

 最も正確な結果を得るには、全ての驛蕎麦店舗で聞き取り調査を行ひ、蕎麦と饂飩のどちらの賣上が多いかを確認し乍ら區分編入を行うのが望ましい。しかし、その作業は小生よりも暇のある方々に任せたいと思ふのである。

 そこで本節では、蕎麦屋の看板に着目する方法で、兩者の定義付けを行つた。即ち、「そば うどん」のやうに蕎麦がプリンシパルになる驛は「蕎麦文化圏」と見做し、逆に「うどん そば」は「饂飩文化圏」と見做す。また區別がはつきりしない場合は、周邊の事情を總合的に判斷して適當に編入する事とする。そのやうにしてプロツトしたのが下圖である。

麺類列島
【そば・うどん列島地圖】

 日本を代表する麺類文化圈を、鐵道の驛賣りに關連させて作成した。これによれば、日本の代表的な麺類文化圈は「蕎麦」「饂飩」「棊子麺」の三種類に分類される。

 蕎麦文化圈
 山陰地方から北海道まで本州を縱貫する長い圈域を有する。驛蕎麦であつても、つゆの濃淡や麺の挽き具合ひ、品書きなどによつて、山陰、出雲、但馬、北大阪、加賀、東海、關東、常陸、東北、北海道などに細分できやう。

 饂飩文化圈
 南西日本地域に横たはる地域である。驛賣りに限定しなければ、調理方法によつてバラエチー豐かな地方色を樂しめる。蕎麦圈と同樣に、南九州、北九州、四國、山陽、南大阪・紀州、近江、伊勢、三河などに細分出來る。

 棊子麺文化圈
 尾張地方だけに見られる狹い圈域であるが、文化的には饂飩文化圈に屬すると考へて良い。乍然、尾張地區の驛立喰店には「きし麺」しか扱はないものもあり、饂飩からも一定の距離を置くやうに見ゑる。イタリアとヴアチカンの關係にも似る。


【區分の曖昧な地域】

 このやうな色分けに贊成出來ない諸君もゐるだらう。しかし蕎麦屋の看板がかうなつてゐるのは事實だから觀念して戴きたい。さうは云つても、區分判斷が微妙な地域もある。

 その好例が、蕎麦文化圈に分類した加賀地方である。金澤驛には、「白山そば」と「加賀うどん」の二種類の看板が出されており、判斷に苦しむ。石川の縣民性のひとつに日和見主義的と云ふのがあるが、蕎麦と饂飩の分界論爭でもどちらつかずである。越前と越中の蕎麦圈に取り圍まれてゐる爲、蕎麦圈に分類したが、諸君が違ふと思へば饂飩圈にしても構はない事とする。

 また、東武鐵道太田驛の看板は「うどん」がプリンシパルになる。その背後には桐生・舘林を中心とした北關東饂飩文化圈が存在するので必然性がある。この地域の饂飩製造は乾麺主體である。乾麺を調理すると時間が掛かり、立喰ひには向かないので、驛賣りだけを参照しても見出し難い。これは伊香保水澤饂飩圈、大舘・稻庭饂飩圈とも共通する。甲斐の「はうたう」も同樣である。一般的に饂飩の調理は驛賣りには向かない事から、本表から漏れた潜在的饂飩文化圏が存在する事を忘れてはならない。


大坂蕎麦之陣圖 【大阪のそば・うどん分界】

 大阪もまた、蕎麦圈と饂飩圈の入組んだ地域である。大阪人に自覺があるか知らないが、浪速の巨人フアンのやうに、思つたより蕎麦圈の規模が大きいのである。

また、「そば・うどん」の境界が大阪環状線上にあるのを認識された愛好家もおられるかと思ふ。まだそれを知らぬ大阪府民の爲に紹介しやう。

 これは、福島から鶴橋に至る各驛の立喰ひが「そば暖簾」主體であるのに對して、その南にある驛では「うどん看板」に變はる現象を觀察した結果である。尚、鶴橋驛外囘りから東は饂飩圈に分類されるので、鶴橋驛は境界線上にあると云ふ推論も出來やう。

第二種、第三種驛蕎麦や、街中の獨立系立喰ひ蕎麦の状況を調べれば、この傾向がより顯著になるだらう。



【特徴的な麺類文化圈】

  • 九州地域
     小倉から大分・久留米に至る北九州地區では「かしは肉」を載せた獨自の饂飩文化圈を形成する。熊本宮崎以南の南九州地區では西四國の饂飩と近似する。また、長崎では中國文化の影響を受けた所爲か蕎麦も饂飩もない。

  • 四國地域
     讚岐饂飩に代表される饂飩偏向の強い地區である。驛賣りでは蕎麦を扱はない、或は蕎麦の値段を高めに設定するなどの對策を講じ、蕎麦文化の侵入を防ぐかのやうにも見ゑる。麺の活きやこしを重視する流儀であり、驛で喰つてもこの傾向が見られる。

  • 山陰・出雲・但馬地域
     薄色つゆで食す蕎麦文化圏である。しかしながら出雲周邊に於ゐては濃色つゆが標準となり、また但馬周邊では太打田舎蕎麦が標準となる。いずれも蕎麦への偏向が強く、山陽・四國の饂飩圈と好對照を爲す。

  • 美濃・三河・遠江地域
     濃色つゆで食す饂飩文化圏である。尾張のきしめんだけが棊子麺文化圈に分類されるが、共通して云へる事は味が辛い。美濃ではかつを節を載せて喰ふ習慣が驛賣りでも見られる。






    文中の敬称は略させて頂きました。
    新事實を御存知の方は小生まで一報願ひます。