蕎麦と小生と讀者

美味い蕎麦屋を教えて下さい


 諸君は小生を偏屈なぢぢいと思つたかも知れない。しかしいくら小生でも、旅先で一徹して驛蕎麦を喰ふ譯でもない。生來胃袋が小さい所爲か、折角驛で蕎麦屋を見つけても一杯喰ふのがやつとである。又一日三囘を蕎麦で濟ます樣な藝當も持合はせてゐないから、中々更新が進まないと思ふ。
 さうは云つても美味い驛蕎麦があれば、是非喰つてみたい。讀者の知らせて呉れる情報は貴重である。お近くの美味い驛蕎麦、すごく不味い蕎麦屋、また便所の直ぐ横にあるやうな變はつた蕎麦屋を教へて戴ければ幸ひである。




  • 三年振りの


更新である。三年前に格調高い東京驛の歩廊で蕎麦を喰つたら、気持ちに一區切りが着いた。
周圍の状況も隨分樣變はりして、近場を歩いても遠方に出ても心が躍る店が無い。當サイトもそんな驛蕎麦と運命を同じくする如く、靜かな眠りに就いたのである。

サイトにメールアドレスを載せると、激勵だけでなく猥襍な廣告メールが入る。煩いしいちいち消すのも業腹なので、思ひ切つてアドレスを廢止した。かうして當サイトは外界とは隔絶された絶對境へと昇華し、かつてそこに在つた蕎麦屋の姿を今日に傳へる以外の存在意義を失つた。

それで良くもあり、十年の友と別れたやうでもあり、しかし別段氣にもしないで日々を過ごしてゐる。しかし最近になつて、女性に媚びない硬派な驛蕎麦に出會ふ機會があれば、また喰つても良いとも思つてゐる。そんな店はこの道に造詣が深い人しか知らないだらう。そこで、メールアドレスを機械に讀み取られないよう工夫をして再開通させた。
味は問はない。讀者諸君の中に、プラツトホーム上にある、背筋の通つた本筋の驛蕎麦をご存じの方があれば、お教え戴きたい。


  • 度々激勵を戴いてゐる


土浦在住の方より、華月庵とJR東日本の資本關係に就て新聞情報と考察を頂戴した。背景は複襍だから思ひ切つて省かせて戴くが、この常連さんからはこれまで土浦、牛久の地元は勿論、金澤・松本・ソウル・歐州など、折に觸れ 廣範且つ深い洞察を加えた所見をご投稿戴いてゐる。
戴いて置き乍ら、小生がそれらを紹介するのは、今囘も含めて必ず着信から一ヶ月以上遲れた。恩に報ひるに不義理を重ねては惡いのであるが、更新を怠ける理由のひとつに「土浦の常連さん」の固有人格を繰り返して説明する面倒さが擧げられると考えた。
そこで、本日は 當サイトからこの方に「梅村軒」の軒號を勝手に謹呈しやうと思ふ。

讀者諸君の爲に改めて紹介しやう。梅村軒さんは土浦近傍に在住し、驛蕎麦を愛す勤め人である。當サイトには 2001年以來投稿を續ける常連さんでもある。おばちやんとの會話を樂しみ、店の雰圍氣を味はひ、季節を愛でる正統派の驛蕎麦人である。今度お便りを頂戴する際は、「土浦の梅村軒さん」で濟むので紹介も早まるだらう。
それでも投稿の紹介が遲れるとすればそれは小生の怠慢である。小生の怠慢は生來のものだから、その節はお許し願ひたい。お便り有難う御座いました。


  • 蕎麦好き


と云ふ方から、當サイトを激励するお便りを戴いた。それと共に、最近の更新が無い事をご心配戴いた。
小生が驛蕎麦を喰ふ上で氣にしてゐる事は二點ある。つまり、プラツトホームで喰ひたいと云ふ事と、出來れば同じ業者を避けて色々な味を比較したい點である。處がここ數年は蕎麦屋の撤退や資本系列の合理化等によつて行き足が鈍る事も確かである。
小生は嘗て 驛蕎麦を求めて全國一周を果たした。二周しても良いが、得るものは一周目よりは少ないだらう。だから他の理由で出掛けた際に未経験の蕎麦を探すやう スタヰルを變えてゐるのである。只、遠方へ出掛け しかも會食の豫定が無く、そこにプラツトホーム上の蕎麦屋が營業してゐると云ふやうな好都合はさう簡単には無い。さう云ふ事情でこのサイトを更新する機會は少なくなるのである。しかし小生は一連の賞味活動を止める積もりが無いので諸君も氣長に構へたら良いと思ふ。
お便り有難う御座いました。過分なお襃めの言葉まで戴いて恐縮です。


  • 大牟田のやりうどん


熊本在住の方から激勵を頂戴した。當サイトをお氣に入りに登録されているとの事で、本當に有り難いことである。
さて、この方からは西鐵大牟田驛の「やりうどん」が閉店したとのご報告があつた。小生は風の強い冬の或る日にその店を訪れたやうに記憶してゐる。立ち喰ひの風情は國鐵驛の店に軍配を上げるが、消滅したのは寂しい。
この方のお陰で、店の名前を閉店後に知る事となつた。お便り有難う御座いました。


  • 安藝地方の葱について


廣島在住の方から「列島青白」に就いての注釋を頂戴した。小生は文中で廣島の驛蕎麦に、同地の名産である「分葱」が使用されてゐた可能性について言及した。
しかしこの方は、廣島驛は「分葱」では無く「葱」であると斷じておられる。この地方では兩者の用法が比較的はつきり分かれて居り、味が青臭く熱するとぬめりが出る「分葱」は主として膾や和へ物に使用され、蕎麦の藥味に使用するのは考え難いと云ふ事である。小生は分葱が廣島の名産である事は知つてゐたが、葱と分葱の差異を嚴密に追求する執着が足りなかつた。
今囘改めて 葱 と分葱 の嚴格な用法區分の概念を聞かされたが、成る程と思ふ部分も多い。また、この方には廣島の特産物として「觀音葱」を教えて頂いた。これは廣島市西區觀音地區で産する九條系の葉葱であり、東京には中々出囘らない地場野菜ださうである。獨特な風味と甘みが特徴ださうだが、近年では生産者が減つて仕舞つたさうである。
さう聞くと東京で 觀音葱を賞味したくなつた。大變興味深い解説を有難う御座いました。


  • 人氣の驛蕎麦投票について


昨日久し振りにエンジニヤが電話を寄越した。時候の挨拶もせずに何やら細かい事を竝べ立てる。曰く、人氣投票のペーヂに於ゐて、特定の驛だけに狂信的な連續投票を行つた輩が居て、投票結果に大きな歪みが發生したとの事である。
そのやうな事で一々連絡して來るこのエンジニヤの狹い了見に閉口したが、原因となつた輩の行動は當ペーヂの主旨に照らして感心しない。話を聞いてゐる内に、少なくとも道徳的でないと考えた。そこで必要最小限の介入を行い是正措置を講ずるやう、そのエンジニヤに指示を出しておいた。 この結果、一時的に總投票數が減少するさうだが、良識有る讀者諸賢に於ゐては了承されたい。誠に詰まらぬ話で失禮しました。


  • 荒事の名文


このサイトを訪れる諸君の中には、時折小生に歴史的假名遣ひのお便りを呉れる方もある。小生も樂しく拜讀させて頂いてゐるが、今囘頂いた文章は「『東海道新幹線三嶋驛歩廊ノ段』ツラネ」と題した歌舞伎の臺本調である。内容は一個の作品として評價されるべきと拜察したので、大變失禮だが全文を轉載させて頂いた。改行・假名遣ひは原文のママである。

    富士の高嶺の白雪の  融けて注ぐは三島宿
    新幹線(しんおかじょうき)のステンショに 商ふ蕎麦屋は第一種
    掛けは弐百と九拾圓 天麩羅参百八拾圓
    當地所縁(ゆかり)の品にては 櫻蝦天 しらす天
    四百と五拾圓にして いづれ劣らぬ「甲」の味
    沼津喰はずにあらねども 名も聞えたる桃中軒
    黒き堅蕎麦 甘め汁 喰らはばそれと知らるなり
    「望」「光」を遣り過し 行交う「木霊」の徒然(つれづれ)に
    一期一會も一興の 二八の名殘と(見得、拆『チョン』)なりぬべし
    (『イヨッ!驛蕎麦屋!』ト、大向ヨリ聲)

新幹線と傳統的文章の融合も妙だが、「沼津喰はずにあらねども」とは良くも巧く云つたものと大變に感心させられた。このツラネを丸暗記して「こだま」で喰ひに出かけ度くなつた。もし小生が桃中軒の店主なら この文章を店頭に飾りたいとさへ思ふ。
この轉載が問題であれば申し付け下さい。樂しいお便り有難う御座いました。


  • 公共テレビジヨン放送


の鐵道旅行番組を眺めてゐると、この七〜八年で隨分多くの驛が高架化されたものだと驚かされる。小生が立ち寄つた蕎麦屋が何處に移つたのか氣になるが、カメラは蕎麦屋までは寫して呉れない。
常連さんから篠ノ井線松本驛の情報を頂いた。同驛の正門から上がつて行く階段の途中にある 第三種店舗が跨線橋の新設を理由に12月25日で閉店するさうである。小生はその店で蕎麦を喰つた思ひ出が微かにある。今年は伯養軒が姿を消す等、驛蕎麦愛好家にとつては寂しいニウスが多かつたやうに思ふ。お便り有難う御座いました。


  • 土浦の常連さん


からお便りを頂戴してゐたが亦しても紹介が遲れた。この常連さんは、地元の説田商店「華月庵」には格別の思ひ入れがお有りの樣で、此れ迄も何度もお便りを頂戴してゐた。特に懇意な おばちやんがあり、カレー蕎麦の賣上豫想や筑波新線の影響など、毎朝樂しく會話を交はしておられたやうである。そのおばちやんに據れば、筑波新線の影響で客が三割減ると云ふ事であるが、この方も八月から通勤經路が「筑波エクスプレス」に變はつたさうである。
先日切替へ前に、土浦驛「華月庵」のおばちやんにお別れの挨拶をし、天夫羅蕎麦を召し上がつたさうである。丁寧で人を大切にする態度は、何時も頂く文面の通りで、この常連さんらしいと感じた。お便り有難う御座いました。


  • 茅野にお住まひ


の讀者から勵ましのお便りを頂戴した。この方の地元では富士見驛が評判との事だそうである。同驛は長野縣に屬するが、驛蕎麦は小生が小淵澤で賞味したのと同じ山梨縣の「丸政」である。
流石に高原の蕎麦處と云ふだけあつて、この地方の沿線には名店が多いやうに思ふ。小生は上諏訪の目の覺めるやうな美味い蕎麦を想ひ出した。上諏訪の「山なか」は、元々昭和八年に辰野驛で開業した業者で、昭和40年代に上諏訪に移つた經緯がある。
しかし同社も平成15年に構内營業を廢業したさうである。時代の流れかも知れないが、驛蕎麦愛好家としては誠に惜しいと思ふ。
お便り有難う御座いました。


  • 新しく蕎麦屋を始める


と云ふ讀者の方からお便りを頂戴した。以前つゆの足りない名古屋空港の蕎麦、水戸のくゑんちん蕎麦、仙臺の驛蕎麦をご紹介戴いた方である。
この方が蕎麦處でもある旭川で、理想としていた本格蕎麦屋を開店する事になつたさうである。目下、平成17年4月23日の開店を目指し奮鬪中との事であり、その樣子は電腦日誌に詳しい。
己の理想をさう云ふ形で具現化しやうとされている事が全く素晴らしい。諸君の好きな二八蕎麦とは異なる本格的手打ち蕎麦のやうである。諸君も開店後の同店を訪れ、本物の蕎麦を味はつてみたら如何だらうか。因みに「當サイトを見た」と云つても安くは成らない。そんな事を期待してはいけない。
お便り有難う御座いました。是非頑張つて下さい。


  • 新名古屋驛


の地下歩廊上の蕎麦屋が、うどん屋に改裝されたと云ふご注進をお受けした。カナ混じり舊假名遣ひで、軍事報告書のやうであるが、同時に非常に表情豐かである。文面から拜察するに、この方は蕎麦の賣上が落ちつつある現状に危機感をお持ちのやうである。

第一に、看板が流行の「讚岐饂飩」に變はつた事。
第二に、うどんの腰が中々強く、蕎麦を選ぶ客が減つたと思はれる事。
第三に、最近品書きに名物の「きしめん」が加はり、蕎麦需要を先細りさせてゐる事。

「きしめん」の本場に於ゐて「うどん」を標榜するあたりに、この店の意氣込みを感じるでは無いか。矢張り セルフうどん の形態は最新のマーケチングなのだらう。麺の腰を強化し「本場 讚岐」の名を冠する事で品質感の向上させ、之を背景に基本販賣單價を上げる。加へて、揚げ物を別賣りとする事で一杯あたりの單價を十數パーセント向上させるのである。
實際にこの店では かけ饂飩で300圓ださうなので、高い事は高い。
しかしこのうどんは、讚岐〜を名乘り乍らも、つゆが尾張風濃味ださうである。また八方美人的な品書きを見ても、小生が勘ぐる程深い理由は無ささうでもある。「尾張饂飩」とすれば寧ろ獨創的であつたかも知れない。
ご注進を受けて小生も桶狹間方面へ出陣したくなりました。お便り有難う御座いました。


  • 新裝成つた


ソウル驛の近況について常連さんからご報告戴いた。小生は舊驛で日式蕎麦屋を賞味したのだが、この驛舎は平成15年11月に閉鎖された。同時に韓國版新幹線「京釜高速鐵道」の設備を擁する新驛舎が、舊驛とは別の場所に開業したのである。
件の蕎麦屋がどうなつたのか小生は全く氣に留めてゐなかつたが、この方は韓國ご出張の際にソウル新驛を視察され「さぬきうどん」の看板を出す日式食堂を目撃されたさうである。
何時も乍ら、この方の丹念な探求姿勢には感心させられるのである。更に、我が國の立喰ひで最近流行の「さぬきうどん」の名前を採り入れてゐる點を指摘されてゐる。全く鋭い洞察と拜察申し上げる。
小生が舊驛の蕎麦屋を利用した折は、平假名の看板は無かつたやうに記憶してゐる。それだけ文化交流が前進したのであらう。何時も有難う御座います。


  • 驛蕎麦愛好家


の方から、當サイトの誤りについてご指摘を戴いた。品川驛の業者「ときはけん」の漢字が本來「常盤軒」であるべき處「常磐軒」と誤植されてゐるとの事である。
慌てて『瓢箪から驛蕎麦』を確認すると確かに間違つてゐた。字引を見ると兩者の意義に差は無いやうだが、固有名詞の間違ひは許されない。その上、この記事は上梓してから四年近く經つが、之まで氣附かずにゐた事になる。常盤軒殿に大變失禮な事でありお詫び申し上げる。
親切なご指摘を戴き、有難う御座います。早速修正致しました。




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